お話をお聞かせください。相談余話

相談余話

今年も伊豆へ

11月下旬の休みを利用して、伊豆下田の上原美術館に行って来ました。敷地内には仏教館(旧大正殿)と近代館があり、私にとっては仏教美術を学ぶ場所であり、心のアジールになっております。また来られたことに感謝です。現在は近代館で「伊豆をめぐる名画」展が開催されておりました。横山大観、安田靫彦を中心に明治期に活躍した画家今村紫紅、菱田春草、前田青邨、小林古径、川端龍子などの作品を一同に鑑賞できたことに一年頑張ってきたことへのご褒美のように思いました。美術館の駐車場のそばの民家では、家の軒先に柿を干す仕事に老夫婦が一生懸命でした。いよいよ冬も間近ですね。また来年もこの時期に来て、柿を干す老夫婦を見かけられることを願って一年間頑張っていきたいと思います。※安田靫彦さんの「不二」(ふじ)の絵はがきを買ってきましたので、ご来店の際にはご鑑賞ください。

台風が残したもの

台風が残した爪痕の深さに、改めて考えさせられることがあるようです。誰もが「見えざる手」によって支えられ、生かされていることに気が付くチャンスでもあります。今の社会生活では上下水道に電気、ガスが無ければ、食料も無ければ生きることは難しいようです。私を含めて昔のように時給自足の生活は無理としてもすべてが与えられる生活の中でなるべく自分で出来ることは自分で解決しておきたいものです。頼って生きて不平不満をつくるか、なるべく頼らず生きて手を差し伸べられて、感謝の気持ちで生きるかが問われているようです。息子さんや娘さんから旅への誘いを受けたらそれは宝くじに当たったものと思って感謝したいものですね。

ふところ手帖より 座頭市物語

何げなく、子母澤寛著「ふところ手帖」に書かれている座頭市物語が気になり読み返してみました。原稿用紙にして20枚足らずの短篇ですが、読むたびに新たな発見をさせられます。勝新太郎さんが扮した座頭市ものが映画やテレビで人気を博したのでご存じな方も多いかと思います。盲目の市さんがあるとき店先で手に取ったお茶碗があまりにも素晴らしいので、その茶碗を作った方のところへ出向いて弟子入りをお願いします。市さんの思いにこたえるように師匠は、窯の覗窓に市さんを連れていき、耳を覗窓の方に向けさせ、薪入れの数やその炎の強さを耳を持って覚えさえます。市さんは師匠の行動を逐一音で覚えていってその思いに答えたのです。やはり素晴らしい師匠には、素晴らしい弟子がつくものです。そのことを思うと我が師匠に学んだことが忘れられません。「胃腸が弱い方が相談に来た時、君はお粥か少し硬めのごはんのどちらを進めますか。」「それは消化の良いお粥の方がよいかと思います。」師曰く、「胃の中のことを考えたら、お粥はお粥のまま入ります。しかし硬めのご飯は、よく噛んで唾液で消化が進みます。」「見えないものを見る目を養ってください。」今も忘れることのできない教えです。市さんと同じに本当の師匠に出会えたことに感謝するばかりです。感謝、感謝。

人格形成小説としてのハイジ

6月にEテレで放映されたアルプスの少女ハイジを思い出し、休みを利用して山梨県北杜市明野村にある「ハイジの村」に行ってきました。ここは南アルプスを正面に右は八ヶ岳、左は富士山の見える雄大なパノラマビューを楽しめる場所です。テレビアニメの放映やハイジの村が再現され、季節の花々で埋め尽くされています。いつ来ても心の休まる場所です。人格について書いたところ多くの方からお褒めの言葉をいただき感謝しております。ついでにアニメのハイジも皆さんが知っている通り感動を与えてくれる素晴らしい作品ですが、ぜひ、ヨハンナ・シュピリ著のアルプスの少女ハイジを読んでみてください。そこにはアニメにない「人格形成小説」としての「ハイジ」があります。ハイジの「喪失と再生」が体現されており、アニメにはない深い感動があるように思います。大人の人にも是非読んでいただきたき、アニメの話に加えて子供さんに話していただけるとよいと思います。出来たらハイジの村に来ていただき、この景色の中親子で「太陽の光とアルムの空気」に似た明るく澄んだ希望が生まれることを願っております。矢川澄子訳パウル・ハイ画ハイジ(上)、(下)が福音館書店よりでております。とてもイラストが素敵です。

ある青年の航海日誌より

以前読んだ本に忘れることの出来ない、とてもよいお話がありましたので書かせてもらいます。ある冒険家の青年がヨットで世界一周をすることになり、多くの方の見送りを受け東京湾を出港しました。湾内を航行中は、波は穏やかでしたが、湾を出る頃から天気が急変して、雨、風は強くなり、ほとんど視界はゼロになり、黒潮を超える頃になると、ヨットは波にもまれ、振り落とされないようにヨットにしがみつき、嵐が過ぎるのを待っていたそうです。黒潮を超えてしばらくすると、天気も回復し、波も落ち着き、視界が開けてきたので、後ろを振り向くと、海上保安庁の巡視船がぴったりヨットの後ろについていました。そして巡視船から赤い旗、白い旗を振っているのが見えたそうです。そのメッセージは、「貴船のこれからの航行の無事をお祈りします。」というメッセージでした。青年は涙をこらえることが出来ず、一生懸命に手を振って、感謝を伝えたそうです。まもなく巡視船はヨットを離れ、見えなくなりました。そのとき青年は自分一人で世界一周をしているのではなく、多くの方の力を借りて、この旅が成り立っていることに気がつき、自分のおごりに反省したそうです。多くの見えざる手によって、支えられている自分がいるとするとやはり「おかげさまで、ありがとうございます。」という言葉しかないように思います。

子供の人格について

病を抱え生きることに精一杯の人に「頑張れ」という言葉が通用しないように、小学一年生という「人格」を与えられ、苦しんでいるA君一家のお話をします。A君は学校へ行き始めてしばらくすると腹痛を起こすようになり、保健室へ行くのが日課になっていたそうです。医療機関の検査でも異常は無く、漢方でもと思い当店へ来ました。A君にお会いするとやせ型で胃下垂タイプの子供さんです。A君一家に私の子供時代のお話をしました。「いつも朝起きるのがつらく、近所の子が迎えに来ているのを待ってもらいなんとか一緒に学校に行きました。食事もほとんどとっていないので、先生のお話も上の空です。お腹は痛い、頭も痛い、さらにお腹が緩くトイレに頻繁に行きますので、テストではいつも0点です。今思えば、小学一年生の肩書きをもらっても、中身は成長が未発達な子供だったようです。身体も精神も学校の集団で学ぶだけの力が無かったように思います。どうかA君のお父さんもお母さんもA君に「一年生にもなって」という言葉はしばらくしまっておいて、その子その子の成長を温かく見守ってください。保健室がA君の唯一のアジール(憩いの場)です。やはり保健室の先生は立派です。「胃健錠」で十分よくなると思います。成長を待つのも教育だと思います。

人格について

5月の連休を利用して、普段お会いできない高齢のお客様も息子さんやお孫さんに連れられて久々の再会になりました。遠方のお客様にも青梅まで来ていただきありがとうございます。漢方相談を窓口に長いお付き合いの中で学ぶことが多くあり、お客様一人一人が我が師として指導していただいたように思います。やはり感謝、感謝です。このような立場で指導が出来るのも肩書きがあるため、「人格」という言葉に置き換えると「格」にあたります。学校では「何々先生」、会社では「何々課長」どうしても肩書きによってお客様を理解しがちですが、実は「人」の部分こそ、その人の人間性の本質を見る場所のように思います。「人」と「格」が一致してこそ本当の人格者ですが、肩書きにおぼれて「人」の部分をおろそかにしている人が多いように思います。私もその一人かもしれません。「格」には限界がありますが、「人」には無限の可能性があります。さあ、今日から「我以外皆我が師」と思い精進したいと思います。

店主

昭和物語

4月を持って平成が終わり、新しい年号になります。昭和がますます遠くに感じますが、新世界の旅立ちを迎える方々へ「昭和の夢物語」を少し書かせていただきます。A子さんは生まれながらに身体が弱く、学校へ行くのもままならない状態でなんとか中学校を卒業し、家庭の事情もあり、家の近くの会社に事務補助係として勤めることになりました。最初の仕事は従業員の方々への「朝のお茶入れ」から始まったそうです。従業員のみなさんが出勤する一時間前に出社して全員のお茶を用意したそうです。朝仕事として出しているお茶を一人一人頭に浮かべて好みを探したそうです。それぞれの好みと特徴を理解して一人一人にいい仕事をしてもらいたいと思いを込めて、あの部長さんは少し苦くて熱いお茶、課長さんは濃いけどぬるいお茶、係長さんはお茶より熱いコーヒーが好みで、女性事務員さんは紅茶が好み、そして最後出す社長さんは実はほうじ茶が好きと言うことを全て理解し出すことになったそうです。従業員のみなさんは出社して朝飲むお茶が大変評判となりお茶を用意するA子さんはみなさんから大変感謝されたそうです。もちろん社長も気に入り、A子さんに特別な辞令が出たそうです。今ではその辞令を守って、二代目社長の奥さんとして会社を支えているそうです。みなさんが知っている今では大きな会社になっています。令和の時代になっても相手を思い個性を理解し、思いやりを持ってのぞめば大丈夫だと思います。
どうか新しい世界へ一歩踏み出してください。

店主

我以外皆我師

吉川英治記念館が今年の春をもって閉館しました。疎開のため吉野村(現青梅市柚木町)へ来て、この地で9年5ヶ月を過ごされたそうです。大作「新・平家物語」はこの期間に執筆されました。転居後は「草思堂」として一般公開され、市民の心のよりどころになっていました。ここへ来ると樹齢500~600年と推定される椎の木の下で、「我以外皆我師」という言葉が自然と出てきます。多くの苦労、苦学の末につかんだ思いが作家としての原点のようです。私も励まされた一人です。「宮本武蔵」における佐々木小次郎の剣に対する絶対的な執着と剣を捨て自然の力に任せて自然の声を聞く武蔵の精神性は、私の漢方に対する考えを変えるきっかけにもなりました。自らが限界とあきらめを作る小次郎に対して、武蔵の自然をも味方につけるいわゆる無限大の芸術性に感動して今があるように思います。治す、治らないを超えてお客様の全てを理解し、救い主にならなければいけないように思います。「会話でよくなるならそれで充分ですね。」さあ、今日も頑張っていきましょう。

店主

慈悲ある言葉

今年も松岡山東慶寺に行ってきました。曇天で雨が降りそうでしたが、墓苑に眠る先生方にお会いできるのが楽しみです。中でも漢方の師に出会えたことが、私の人生そのものになっているようです。「私の本の前書きと後書きだけ読んで、中身は読まない方がいいよ。中身については私の背中を見て、君が考えて漢方と向き合ってください。後々君が私の年になった頃、チラッと見れば充分だよ。」とおっしゃっていました。修業時代、先生の書生として家の掃除、部屋の片付け、それに運転手さんに犬の散歩で三年間が過ぎ、漢方とは無縁の生活だったように思います。今思えば、「何も教えない。」ということが師の思いやりであり、師としての立場を貫いたようです。土牛さんの本の中で師(日本画家小林古径)について「君に手取り足取り技術的なことを教えたら君は私を超えることはできないだろう。だから君は私の生き方を見ていれば十分なのだよ。」と述べてありました。土牛さんは、後々先生は私の本当の師であり、とてもいい時間を過ごさせてもらったと温かい心になったそうです。背中で語り、何も教えないことが実は本当の「慈悲ある言葉」のように思います。師の墓は誰よりも簡素です。いつもここに来ると土牛さんと同じように温かい心になります。さあ先生、これから鉢の木で、一杯やりましょう。また、にこにこして何も語らないのですか。まだまだ修行の身ですが、よろしくお願いします。また、来年も来ますよ。

店主

愛語は笑顔から

今年も寒い中を笑顔で来店していただいたSさん、何よりも無事にお会いできて安心しました。いつもホームページの相談余話を楽しみにしてくださいまして、ありがとうございます。感謝、感謝です。病も含め人間の苦しみ、悩みは尽きることはないと思います。私が苦しみ、悩みの最中にいるとき、漢方の師として尊敬する方よりお葉書をいただきました。「君は苦しみと悩みの中で何も見えないだろうが、私には君が最も人間として成長しているのがよくわかるよ」とおっしゃっていました。「今こそチャンスだよ。もっと、もっと今を味わい尽くしてください。」と書いてありました。病も同じで、自身を見つめるチャンスのように思います。「照顧却下」もう一度病と向き合って、病を克服されたとき、どれほど素晴らしい笑顔になっておられることか想像できます。私が尊敬する良寛さんのお言葉にこのような言葉があります。
「君看ずや 双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」

素敵な笑顔をお待ちしております。店主

修行も愛語から

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
年末年始を「無事」に何事もなく、穏やかに過ごされたかと思います。
私事で申し訳ございませんが、年末年始を青森八甲田山の麓を流れる青荷川源流域にある、ランプの宿「青荷温泉」で過ごしております。ここにあるのは全てが雪であり、部屋には小さなストーブとランプの灯りだけです。一冊の本「遺言」養老孟司著を携えて来ましたが、雪に閉ざされ、ランプの灯りだけでは暗くて読めそうもなく、湯につかり、雪景色を眺め、田舎料理をいただき、ただ後は眠るばかりです。年末寒波の影響で、吹雪の中を12時間かけてたどり着きました。本当によく来たものです。感謝、感謝です。多くの方の協力がなければ来ることが出来なかったと思います。東京での生活は人に頼って当たり前。それが見えずに不平不満のストレスで疲れていたのでしょう。この厳しい環境の中に身を置くと、やはり頼るは、この身「二本の足」で最後まで頑張ること。どうしても頼らざるおえない時がきた時は、人は心から「お願いします」そして「ありがとうございます」という本当の修行があるように思います。当たり前のようですが、不平不満のない自立した精神があれば「お願いします」「ありがとうございました」と言う言葉は人生何も出来なくなっても出来る最高の修行のように思います。もう一度今年は原点に返って心から「お願いします」感謝の言葉として「ありがとうございます」という言葉を自立した精神を忘れずに修行の言葉としていければと思います。優しくランプが灯っています。本当の豊かさを味わって帰りたいと思います。養老先生すみませんでした。帰ってからゆっくりと読みたいと思います。また、こんな話ばかりになると思いますが、一年間、お付き合いお願いします。

青荷温泉 ランプの宿より 店主

自然の声こそ先生

11下旬の休みを利用して、群馬県の六合(くに)の里温泉郷の最奥にある尻焼温泉に行ってきました。川をせき止めて設けられた大きな露天風呂に入るのが目的です。今晩の宿は星ヶ丘山荘にお世話になることになりました。宿から歩いて2~3分のところには裸電球に照らされた大きな池のような露天風呂が夕闇の中にありました。橋から下った先に小さな湯小屋があり、そこで着替えが出来るようです。雨がなくまたお天気が続いたので川底から噴き出す温泉も適温になっていました。音なき音の中にも自然の喜びが聞こえるようです。空を見上げれば満天の星が迎えてくれました。今を楽しめと私一人のために自然が用意してくれた最高のステージです。感謝、感謝です。 自然は喜びも与え、悲しみも与えます。我々がいかに自然と一体となり謙虚に生きるか問われているようでもあります。あらゆるSOSを見逃さないように謙虚に自然の声を聞くことがこれから重要だと思います。人間も自然の一部であるように身体のSOSを見逃さないようにこれからも精進したいと思います。星ヶ丘山荘の女将さん、それからスタッフの方々にお世話になりました。鶴太郎さんにはお会いできませんでしたが、いつかお会いしたいものです。本当にいい宿でした。本年もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

店主

今日も吉日

今年を振り返る季節になったようです。余命を宣告され少しでも生活の質(QOL)向上を願って当店に見えたU子さんも今では「今月も元気でしたよ。感謝、感謝の赤飯なのでお裾分けです。」と言って風呂敷に包んで毎月持ってきてくださいます。こちらが感謝、感謝です。U子さんと出会って「健康とは」いったい何なのかもう一度考えるようになりました。「健」は体の身体の有り様で、「康」は心の有り様ですが、どうも「健」と「康」は同じ大きさではなくU子さんのように「康」によって「健」を支えている。それも心の有り様の上に身体を優しく乗せて「健康」という状態を保っているからこそ、毎日充実した日を過ごしているのではないでしょうか。「康」によって「健」は支えられ、心の有り様によって本当の幸せがあるのかもしれません。U子さんもまた私の人生の師匠のようです。まだまだ、よろしくお願いします。

店主

薬は信じて服用するもの

9月の休みを利用して、秘湯中の秘湯である岩地にある小さな漁村の民宿青風園さんにお世話になりました。高台にあるお風呂からの眺めは素晴らしく、青い空に海岸線の美しさ、打ち寄せる波の音そしてさわやかな風の声です。自ら洞にこもり修行する修行僧が見た光景が空と海であったように「空海」という人の名がわかるような気がしました。「空海さん」がもたらした一つに薬があります。その薬の服用についても仏教の教えと同じように「信じること」が大事なことだとおっしゃっています。「空海さん」のような修行を極めた人格者にはとうていなれそうもないですが、その姿勢は忘れず、明日も精進、修行に励みたいと思います。目的の一つである伊豆下田の郊外にある仏教美術館は清掃日にあたり休館しておりましたが、青風園の女将さん、息子さんにお会いできたことが大変幸せでありました。ありがとうございました。

店主

病を経て適職へ

8月も中旬を過ぎた頃、いつもは妹さんと一緒に見えるCさんが、一人で訪ねてきました。精神的な病で、5年ほど前から妹さん宅にお世話になっているCさんです。初めて相談に見えたときのCさんは、「こんな身体になって、妹に迷惑をかけているので早く死ぬのが一番よいのです。」とおっしゃっていました。出る言葉はいつも同じです。お医者さんもずいぶん困っていたようです。Cさんに「Cさんの身体は生きるため一生懸命に働いていますよ。Cさんの頭だけが死にたい、死にたいと言っているだけでそれは身体に対して失礼な話ですね。もう一度冷静な頭になって、考え直してください。一日一日が日にち薬と思って漢方を服用してください。」とお話ししました。そして最近は、「死ぬのはやはり怖いですよ。考えれば考えるほど怖いですよ。」とおっしゃっています。「だったら一生懸命生きることの方が気が楽ですよ。死ぬことを忘れて一生懸命生きる方がきっといいと思いますよ。」と話しました。今回のCさんの相談はずいぶんよくなってきたのでもう一度何か人の役に立つ仕事について、少しでも妹さんの負担を減らして、出来れば妹の家を出て生活したいと話していました。5年もの間、死を見つめて来られて病を克服されたのですから、いよいよ人助けをする番ですね。今から宗教家は無理としても、お寺さんの聖(ひじり)さんでも、墓守人でも死と向き合わざるを得ない人達に希望を与える仕事に就けばおそらく皆さんはCさんに出会って本当に救われると思います。私が言うのもおかしいですが、Cさんの顔を見ているだけで私が救われるようです。ありがとうございました。

店主

住まいは人なり

奥会津の玉梨温泉で出会った一人の老人宅にお伺いすることが出来ました。そこは、南会津町前沢にある前沢集落です。徳造さん宅も伝統的な茅葺のりっぱな曲家です。中門作りで母屋と馬屋が一体となっていました。入口を入ると土間があり、徳造さんと奥様がいろりの前で出迎えてくださいました。徳造さんは六人兄弟の長男として家を守るためにこの地に残って、東京へ出た兄弟達に援助をしてきたそうです。先祖代々からの物はこの家しか残らなかったそうです。兄弟姉妹も今は東京で立派にやっているそうで、温泉巡りをしている今が一番幸せと言っていました。いろりのある後ろに大黒柱が黒く光っています。「立派な大黒柱は徳を積んだ徳造さんにぴったりですね。住まいは人なりと申しますが、この曲家は徳造さんと奥様にしか合いません。」本当に素晴らしい住まいを拝見させていただいてありがとうございました。

店主

生老病死

朝早く一本の電話がかかってきました。Aさんからの電話でした。「あんた、やっぽり肺に腫瘍があって、どうも悪性らしいよ。進行の早いガンだって。この年まで生きて来て、悔いはないけどできたらオリンピックまでは生きたいね。」とおっしゃっておりました。いつもと違う咳が続き、悪化傾向にあったので受診を勧めたのがこの結果でした。会社を経営されているときは従業員のみなさんの食事を作り、会社を娘さん夫婦に譲ってからは、会長婦人として若夫婦とお孫さんの食事作りをしながら、カラオケ、輪投げ、旅行と精一杯人生を楽しんでいたようです。そして、「もう治療はしないことにしたよ。私が決めたことだから。でもね、あんたの漢方はもう少し続けることにするよ。出来たらオリンピックまでは続けるよ。なんか見繕っておいてよ。カラオケの帰りに寄るよ。」とおっしゃっていました。Aさんに私が励まされているようです。生きて、老いて、病気を患い死んでいく運命にある。人間が生きてきた証を少しでも理解し、寄り添い、安心感を与えられれば、ということをAさんによって教えられているようです。Aさんもやはり私の先生です。オリンピックと言わず、次のオリンピックまで寄り添いたいものです。Aさんに感謝、感謝です。

店主

藁屋に名馬をつなぐ

五月に入り春休みをいただき、秘湯を求めて今回は福島県の高湯温泉に行ってきました。お天気にも恵まれ、車の渋滞もなく、磐梯吾妻スカイライン沿いにある湯治場的雰囲気の残った吾妻屋さんにお世話になりました。昔ながらの古びた湯治宿のようです。豊かな自然に囲まれた山の湯につかり、人の優しさに触れたいい旅になりました。女将さん始め、従業員の方々のお客を思いやる姿勢には頭が下がる思いです。ある従業員の方が「私たちのまかない料理は女将さんが作ってくださるんですよ。」とおっしゃっていました。まさにこんな言葉が思い起こされました。「藁屋に名馬をつなぐ」。震災を乗り越え140年も守り続けてきた宿にこの女将です。個人個人の個性を大事にして寄り添いいたわり思いやる心。なんとも旅の出会いで学ぶことができた幸せいっぱいの旅でした。心の中で「感謝、感謝です。」また来たいものです。

店主

いつも良寛さん

ゴールデンウィークを前にして今年は寒暖差の激しい春を迎えております。
相談に見えるお客様や相談電話もこの時期にしては多いようです。
いつも申しておりますが、身体の弱い方、ご高齢の方にとっては「弱い」「高齢」というだけで、何らかの不調という病を抱えております。そこに気候変動の激しさが追い打ちをかけるようです。ストレスや寝不足により慢性的な疾患を抱えているお客様にとってはたいへんつらい時期のようです。「弱い」「高齢」という不調を病とするならば気候変動の寒暖差もいろいろな形で不調をもたらす病です。二重の病に苦しんでいるのが、「身体の弱い人」「ご高齢の方」ではないでしょうか。
「君看ずや双眼の色 語らざれば憂いなき似たり」
何も言わなくていいですよ。多くの苦労を素直に受け止め乗り越えてこられたお顔です。お顔を拝見するだけで十分です。ありがとうございました。

店主