お話をお聞かせください。相談余話

相談余話

第73話 今年は無病息災です。 21年1月

あけましておめでとうございます。コロナ禍での年明けを迎えましたが、いかがお過ごしでしょうか。
我が家では、鏡餅を用意して「年神様」を迎えました。「五穀豊穣」「長寿」「無病息災」「家内安全」それに「商売繁盛」を願いました。11日をもって、神様をお送りする意味で鏡餅をいただく「鏡開き」をして、その力を授けてもらいます。何よりも今年は、「無病息災」です。やまと堂も「治りきる力」「生き抜く力」をテーマにみな様に少しでも「漢方の力」を授けられるように頑張っていきますのでどうぞよろしくお願いします。身の引き締まる思いです。今日より明日へ、前へ前へ進め、よい日が来ますように。  店主

第72話 安心できる生活が何より 20年12月

まもなく、12月です。すでに山では、赤や黄色のじゅうたんにおおわれ錦秋の季節を迎えます。一年の終わりが見えてきました。新型コロナウイルスについては、まだ先が見えませんが、これ以上の犠牲者が出ないことを祈るばかりです。また、一年を通してご来店くださいましたお客様が無事に新年を迎えられ、笑顔でお会いできることを楽しみにしております。いつの間にか、今年のテーマになりましたが、「治りきる力」、「生き抜く力」を少しでも授けることが出来たか、反省するばかりですが、来年も「漢方の力」を信じてお手伝いすることが出来れば何よりです。みな様の健康と何より安心できる生活を取り戻せますようお祈りしたいと思います。
本当に一年間ありがとうございました。また、来年もよろしくお願い致します。  店主

第71話 毉(い)が示すもの 20年11月

秋も深まり、肌で季節の移り変わりを感じる頃です。忙しい毎日の中で、気がつくと日が落ち一日が終わっていきます。つつがなく今日という日を無事に終えることが出来た事への感謝と同時にお客様に寄り添い、励まし、きっと良くなるという希望を捧げることができたか「名残惜しい」気持ちにもなります。これで良いということがない毎日ですが、明日へのチャンスを与えていただいたと思い、私が励まされているようです。「我以外皆我が師」ですね。感謝、感謝です。 店主

第70話 秋の親子 20年10月

秋の訪れとともに、こんな親子の出会いを思い出します。
お母様が「うちの娘はもうだめなんです。もう治らないそうです。」それは漢方でどうにかなるものではないことでした。とても残念な思いだったと思います。一言だけ言わせてもらいました。「もし、お医者様の許しがあれば、今まで出来なかったこと、たとえば地方の温泉巡りをして少しでも病を忘れて楽しんでみてはいかがですか。いい景色を見て、温泉につかれば食欲もわき、元気になると思います。いい思い出をいっぱい作ってください。ただどこへ行っても定期的に検査だけはしてください。場合によってはすぐ帰れるようにしてください。」と申しました。
この方は、つい最近お母様を看取り、二人の子供さんも成人させました。いつも思うことですが、「治る力」、「生き抜く力」とはいったい何なんでしょうかね。  店主

第69話 不安も安心も心しだい 20年9月

四季折々の中に小さな変化を見出せれば、そこには「昨日と違う今日」があるはずです。不安感はいつまでも続くものではなく、終わりが来ると思います。小さな秋を見つける喜びの中でこの社会不安も変化しているのです。「不安をつくるのも、安心を得るのも心しだいです。」秋を見つけにたまには朝早く起きて散歩に出かけるのも清々しい一日になると思います。  店主

第68話 「治りきる力、生き抜く力」 20年8月

新型コロナウイルスに対するお客様の一番の不安は「こうすればよいという治療法がないこと。」ではないでしょうか。新しい生活スタイルにもストレスを感じているようです。私たちが本来持っている防御機能(免疫)を高め「治りきる力」、さらには「生き抜く力」を手に入れることがもっとも安心感につながるのではないでしょうか。そのためにも前回も申したように「規則正しい生活」、「バランスのよい食事」、「適度な運動」、「質のよい睡眠をしっかりとること」です。特に睡眠不足はストレスをつくり自然免疫を弱めますので注意が必要です。最後にウイルスにさらされてウイルスと戦うのは私たちの身体です。どんなときも自分の「治りきる力、生き抜く力」を信じてがんばりたいものです。  店主

第67話 ウイルスの教えるもの 20年7月

梅雨入りして、漢方相談も落ち着いてきましたが、東京都市部では、新型コロナウイルスの発症者は、6月中旬を過ぎても収まっておりません。私たちは、今後いかにこのウイルスと共存するかを考える時がきたように思います。道元さんのお言葉だったように思いますが、「厳しい夏があって、秋の実りが豊かになり、厳しい冬があって春の芽吹きに感動する」とおっしゃっていたように思います。このウイルスによって私たちの社会生活のあり方、さらに生き方まで変わるかもしれません。今回のコロナウイルスは、私たちに何を教えようとしているの考えるチャンスでもあります。そして、この不幸を乗り越えてこそ、明日への希望が見えてくると思います。 「春をのみ 待つらん人の 山里の 雪間の草の 春を見せばや」 藤原家隆   店主

第66話 「寝不足」と「かぜ」には注意 20年6月

新緑の季節を迎え、初夏の陽気にはなってきましたが、コロナ騒動は収まりつつありますが、先の見えない状態が続いております。
相談でいつも申し上げていることですが、「寝不足」と「かぜ」は万病の元になります。抵抗力の弱い人ほど症状が弱く出るため重症化しやすい傾向にあります。熱のない肺炎に注意が必要です。基礎疾患(高血圧や糖尿病など)のある方は検査数値が悪化する場合があります。「寝不足」によるストレスが抵抗力の低下を生じます。特に夏かぜは症状が出にくいため注意が必要かと思います。  店主

第65話 一番の安心感

お家で過ごす、お父さん、お母さん、子供さんが多いようです。お母さんの背中は小さいですが、子供達が元気でお家で楽しめるようにおいしい食事に毎日頑張っていることでしょう。お父さんは、大きな背中でお家で仕事に励んでいることでしょう。大黒柱として、家族を守る大きな背中を子供達に見せてください。お父さん、お母さんの背中は会話がなくても子供達は十分理解できると思います。出来たら「お父さん、お母さんがいるから大丈夫だよ。安心しなさい。」と一言申してもらえれば、家族とゆったり過ごす時間となることでしょう。 店主

第64話 もう一つの安心感

お彼岸も過ぎ、桜の季節になりました。店頭では、新型コロナウイルス感染症の相談で毎日がてんてこまいです。テレビや新聞での情報以外このようなことにも目を向けてもらうといいかと思います。発熱や咳を一時的に抑える対症療法以外、自分の免疫力で対応することも重要です。そのためには「規則正しい生活」「バランスの良い食事」「適度な運動」「質の良い睡眠をしっかりとること」そして、なるべくストレスを溜めないことです。晴耕雨読ではないですが、今は雨の季節と思い、忙しい毎日の中で読めないような本など読むのもよいかと思います。自分に備わった自然免疫を活性化しておくことも「手洗い」「うがい」「マスク」とともに安心感につながると思います。毎日の生活を見直すチャンスでもあります。  店主

芸術は無限大

毎年2月は師を偲び北鎌倉へ行ってきました。師とよく訪れた「鉢の木」の庭の白梅もすでに散り始めておりました。いよいよ春近し、桜の季節も間もなくです。風もなく歩くには良い日でしたので、切通しを抜けて鎌倉へ向かう途中、奥村土牛さんのこよなく愛した「しらす山椒」の看板が目に留まり、小さなお店に入るとそこは「鎌倉とも乃」という土牛さんのお孫さんが経営するお店でした。昨年、佐久穂町にある奥村土牛記念美術館に行ったお話をすると、いたく感動されて、買い求めた「しらす山椒」とともに土牛さんの絵ハガキをいただいてまいりました。土牛さんは兄弟子の古径さんから一切筆づかいや色づかいについて学ぶことはなかった。しかし古径さんの絵に向かう姿勢や心構えなど生き方を学びました。技術的なことには限界があるが、芸術性にはそれがない無限大であることを学び、本当の師に出会えたことに感謝するしかないと申しておりました。私もそのような師になることを夢見て精進したいと思います。ご主人に感謝、感謝です。  店主

今年も和顔愛語で

寒中に入り、寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしですか。
私事ですが、年末年始の休みを利用して郡山駅から磐越西線に乗換えて猪苗代駅から安達太良山の麓にある中ノ沢温泉に5年ぶりに行って来ました。その地域の人々が利用する湯治場で温泉好きでも知る人は少ないようです。昭和のよき時代にタイムスリップしたような温泉街に人影はなく映画のセットが雪に埋もれているようでした。元旦のお昼は、5年前にいただいた「味噌ラーメン」を求めて雪が吹雪く中を歩いて、小西食堂を見つけて入ると中はお客様で満席でした。おじいちゃん、おばあちゃん、子供さんまでよい顔をされて、誰からともなく「新年あけましておめでとうございます。」と挨拶されました。自分の古里に帰って来たかのように迎えてくれました。今日は元旦なので味噌ラーメンに熱燗一本をすすめられました。ほとんどの方が味噌ラーメンにお銚子一本がついていました。よい顔になるのは当たり前です。今年も元気に新年を迎えられたことに喜びお酒を酌み交わしています。私も皆さんと同じようによい顔になって帰ることにしました。
今年は、「和顔」よい顔で「愛語」より美しい言葉を心がけたいと思います。また、5年後を楽しみに今年も頑張っていきます。よろしくお願いします。 店主
 

無事がすべて 2020年1月

新年あけましておめでとうございます。
年末年始を「無事」に過ごされ、新年を迎えられたことと思います。
今年一年相談余話を通して一つでも心に残る話が出来ればと思っております。
今年もよろしくお願いします。
今日も無事、明日も無事、そして一年が何事もなく過ごせる一年でありますように。
店主より

今年も伊豆へ

11月下旬の休みを利用して、伊豆下田の上原美術館に行って来ました。敷地内には仏教館(旧大正殿)と近代館があり、私にとっては仏教美術を学ぶ場所であり、心のアジールになっております。また来られたことに感謝です。現在は近代館で「伊豆をめぐる名画」展が開催されておりました。横山大観、安田靫彦を中心に明治期に活躍した画家今村紫紅、菱田春草、前田青邨、小林古径、川端龍子などの作品を一同に鑑賞できたことに一年頑張ってきたことへのご褒美のように思いました。美術館の駐車場のそばの民家では、家の軒先に柿を干す仕事に老夫婦が一生懸命でした。いよいよ冬も間近ですね。また来年もこの時期に来て、柿を干す老夫婦を見かけられることを願って一年間頑張っていきたいと思います。※安田靫彦さんの「不二」(ふじ)の絵はがきを買ってきましたので、ご来店の際にはご鑑賞ください。

台風が残したもの

台風が残した爪痕の深さに、改めて考えさせられることがあるようです。誰もが「見えざる手」によって支えられ、生かされていることに気が付くチャンスでもあります。今の社会生活では上下水道に電気、ガスが無ければ、食料も無ければ生きることは難しいようです。私を含めて昔のように時給自足の生活は無理としてもすべてが与えられる生活の中でなるべく自分で出来ることは自分で解決しておきたいものです。頼って生きて不平不満をつくるか、なるべく頼らず生きて手を差し伸べられて、感謝の気持ちで生きるかが問われているようです。息子さんや娘さんから旅への誘いを受けたらそれは宝くじに当たったものと思って感謝したいものですね。

ふところ手帖より 座頭市物語

何げなく、子母澤寛著「ふところ手帖」に書かれている座頭市物語が気になり読み返してみました。原稿用紙にして20枚足らずの短篇ですが、読むたびに新たな発見をさせられます。勝新太郎さんが扮した座頭市ものが映画やテレビで人気を博したのでご存じな方も多いかと思います。盲目の市さんがあるとき店先で手に取ったお茶碗があまりにも素晴らしいので、その茶碗を作った方のところへ出向いて弟子入りをお願いします。市さんの思いにこたえるように師匠は、窯の覗窓に市さんを連れていき、耳を覗窓の方に向けさせ、薪入れの数やその炎の強さを耳を持って覚えさえます。市さんは師匠の行動を逐一音で覚えていってその思いに答えたのです。やはり素晴らしい師匠には、素晴らしい弟子がつくものです。そのことを思うと我が師匠に学んだことが忘れられません。「胃腸が弱い方が相談に来た時、君はお粥か少し硬めのごはんのどちらを進めますか。」「それは消化の良いお粥の方がよいかと思います。」師曰く、「胃の中のことを考えたら、お粥はお粥のまま入ります。しかし硬めのご飯は、よく噛んで唾液で消化が進みます。」「見えないものを見る目を養ってください。」今も忘れることのできない教えです。市さんと同じに本当の師匠に出会えたことに感謝するばかりです。感謝、感謝。

人格形成小説としてのハイジ

6月にEテレで放映されたアルプスの少女ハイジを思い出し、休みを利用して山梨県北杜市明野村にある「ハイジの村」に行ってきました。ここは南アルプスを正面に右は八ヶ岳、左は富士山の見える雄大なパノラマビューを楽しめる場所です。テレビアニメの放映やハイジの村が再現され、季節の花々で埋め尽くされています。いつ来ても心の休まる場所です。人格について書いたところ多くの方からお褒めの言葉をいただき感謝しております。ついでにアニメのハイジも皆さんが知っている通り感動を与えてくれる素晴らしい作品ですが、ぜひ、ヨハンナ・シュピリ著のアルプスの少女ハイジを読んでみてください。そこにはアニメにない「人格形成小説」としての「ハイジ」があります。ハイジの「喪失と再生」が体現されており、アニメにはない深い感動があるように思います。大人の人にも是非読んでいただきたき、アニメの話に加えて子供さんに話していただけるとよいと思います。出来たらハイジの村に来ていただき、この景色の中親子で「太陽の光とアルムの空気」に似た明るく澄んだ希望が生まれることを願っております。矢川澄子訳パウル・ハイ画ハイジ(上)、(下)が福音館書店よりでております。とてもイラストが素敵です。

ある青年の航海日誌より

以前読んだ本に忘れることの出来ない、とてもよいお話がありましたので書かせてもらいます。ある冒険家の青年がヨットで世界一周をすることになり、多くの方の見送りを受け東京湾を出港しました。湾内を航行中は、波は穏やかでしたが、湾を出る頃から天気が急変して、雨、風は強くなり、ほとんど視界はゼロになり、黒潮を超える頃になると、ヨットは波にもまれ、振り落とされないようにヨットにしがみつき、嵐が過ぎるのを待っていたそうです。黒潮を超えてしばらくすると、天気も回復し、波も落ち着き、視界が開けてきたので、後ろを振り向くと、海上保安庁の巡視船がぴったりヨットの後ろについていました。そして巡視船から赤い旗、白い旗を振っているのが見えたそうです。そのメッセージは、「貴船のこれからの航行の無事をお祈りします。」というメッセージでした。青年は涙をこらえることが出来ず、一生懸命に手を振って、感謝を伝えたそうです。まもなく巡視船はヨットを離れ、見えなくなりました。そのとき青年は自分一人で世界一周をしているのではなく、多くの方の力を借りて、この旅が成り立っていることに気がつき、自分のおごりに反省したそうです。多くの見えざる手によって、支えられている自分がいるとするとやはり「おかげさまで、ありがとうございます。」という言葉しかないように思います。

子供の人格について

病を抱え生きることに精一杯の人に「頑張れ」という言葉が通用しないように、小学一年生という「人格」を与えられ、苦しんでいるA君一家のお話をします。A君は学校へ行き始めてしばらくすると腹痛を起こすようになり、保健室へ行くのが日課になっていたそうです。医療機関の検査でも異常は無く、漢方でもと思い当店へ来ました。A君にお会いするとやせ型で胃下垂タイプの子供さんです。A君一家に私の子供時代のお話をしました。「いつも朝起きるのがつらく、近所の子が迎えに来ているのを待ってもらいなんとか一緒に学校に行きました。食事もほとんどとっていないので、先生のお話も上の空です。お腹は痛い、頭も痛い、さらにお腹が緩くトイレに頻繁に行きますので、テストではいつも0点です。今思えば、小学一年生の肩書きをもらっても、中身は成長が未発達な子供だったようです。身体も精神も学校の集団で学ぶだけの力が無かったように思います。どうかA君のお父さんもお母さんもA君に「一年生にもなって」という言葉はしばらくしまっておいて、その子その子の成長を温かく見守ってください。保健室がA君の唯一のアジール(憩いの場)です。やはり保健室の先生は立派です。「胃健錠」で十分よくなると思います。成長を待つのも教育だと思います。

人格について

5月の連休を利用して、普段お会いできない高齢のお客様も息子さんやお孫さんに連れられて久々の再会になりました。遠方のお客様にも青梅まで来ていただきありがとうございます。漢方相談を窓口に長いお付き合いの中で学ぶことが多くあり、お客様一人一人が我が師として指導していただいたように思います。やはり感謝、感謝です。このような立場で指導が出来るのも肩書きがあるため、「人格」という言葉に置き換えると「格」にあたります。学校では「何々先生」、会社では「何々課長」どうしても肩書きによってお客様を理解しがちですが、実は「人」の部分こそ、その人の人間性の本質を見る場所のように思います。「人」と「格」が一致してこそ本当の人格者ですが、肩書きにおぼれて「人」の部分をおろそかにしている人が多いように思います。私もその一人かもしれません。「格」には限界がありますが、「人」には無限の可能性があります。さあ、今日から「我以外皆我が師」と思い精進したいと思います。

店主