お話をお聞かせください。相談余話

相談余話

第68話 「治りきる力、生き抜く力」 20年8月

新型コロナウイルスに対するお客様の一番の不安は「こうすればよいという治療法がないこと。」ではないでしょうか。新しい生活スタイルにもストレスを感じているようです。私たちが本来持っている防御機能(免疫)を高め「治りきる力」、さらには「生き抜く力」を手に入れることがもっとも安心感につながるのではないでしょうか。そのためにも前回も申したように「規則正しい生活」、「バランスのよい食事」、「適度な運動」、「質のよい睡眠をしっかりとること」です。特に睡眠不足はストレスをつくり自然免疫を弱めますので注意が必要です。最後にウイルスにさらされてウイルスと戦うのは私たちの身体です。どんなときも自分の「治りきる力、生き抜く力」を信じてがんばりたいものです。  店主

第67話 ウイルスの教えるもの 20年7月

梅雨入りして、漢方相談も落ち着いてきましたが、東京都市部では、新型コロナウイルスの発症者は、6月中旬を過ぎても収まっておりません。私たちは、今後いかにこのウイルスと共存するかを考える時がきたように思います。道元さんのお言葉だったように思いますが、「厳しい夏があって、秋の実りが豊かになり、厳しい冬があって春の芽吹きに感動する」とおっしゃっていたように思います。このウイルスによって私たちの社会生活のあり方、さらに生き方まで変わるかもしれません。今回のコロナウイルスは、私たちに何を教えようとしているの考えるチャンスでもあります。そして、この不幸を乗り越えてこそ、明日への希望が見えてくると思います。 「春をのみ 待つらん人の 山里の 雪間の草の 春を見せばや」 藤原家隆   店主

第66話 「寝不足」と「かぜ」には注意 20年6月

新緑の季節を迎え、初夏の陽気にはなってきましたが、コロナ騒動は収まりつつありますが、先の見えない状態が続いております。
相談でいつも申し上げていることですが、「寝不足」と「かぜ」は万病の元になります。抵抗力の弱い人ほど症状が弱く出るため重症化しやすい傾向にあります。熱のない肺炎に注意が必要です。基礎疾患(高血圧や糖尿病など)のある方は検査数値が悪化する場合があります。「寝不足」によるストレスが抵抗力の低下を生じます。特に夏かぜは症状が出にくいため注意が必要かと思います。  店主

第65話 一番の安心感

お家で過ごす、お父さん、お母さん、子供さんが多いようです。お母さんの背中は小さいですが、子供達が元気でお家で楽しめるようにおいしい食事に毎日頑張っていることでしょう。お父さんは、大きな背中でお家で仕事に励んでいることでしょう。大黒柱として、家族を守る大きな背中を子供達に見せてください。お父さん、お母さんの背中は会話がなくても子供達は十分理解できると思います。出来たら「お父さん、お母さんがいるから大丈夫だよ。安心しなさい。」と一言申してもらえれば、家族とゆったり過ごす時間となることでしょう。 店主

第64話 もう一つの安心感

お彼岸も過ぎ、桜の季節になりました。店頭では、新型コロナウイルス感染症の相談で毎日がてんてこまいです。テレビや新聞での情報以外このようなことにも目を向けてもらうといいかと思います。発熱や咳を一時的に抑える対症療法以外、自分の免疫力で対応することも重要です。そのためには「規則正しい生活」「バランスの良い食事」「適度な運動」「質の良い睡眠をしっかりとること」そして、なるべくストレスを溜めないことです。晴耕雨読ではないですが、今は雨の季節と思い、忙しい毎日の中で読めないような本など読むのもよいかと思います。自分に備わった自然免疫を活性化しておくことも「手洗い」「うがい」「マスク」とともに安心感につながると思います。毎日の生活を見直すチャンスでもあります。  店主

芸術は無限大

毎年2月は師を偲び北鎌倉へ行ってきました。師とよく訪れた「鉢の木」の庭の白梅もすでに散り始めておりました。いよいよ春近し、桜の季節も間もなくです。風もなく歩くには良い日でしたので、切通しを抜けて鎌倉へ向かう途中、奥村土牛さんのこよなく愛した「しらす山椒」の看板が目に留まり、小さなお店に入るとそこは「鎌倉とも乃」という土牛さんのお孫さんが経営するお店でした。昨年、佐久穂町にある奥村土牛記念美術館に行ったお話をすると、いたく感動されて、買い求めた「しらす山椒」とともに土牛さんの絵ハガキをいただいてまいりました。土牛さんは兄弟子の古径さんから一切筆づかいや色づかいについて学ぶことはなかった。しかし古径さんの絵に向かう姿勢や心構えなど生き方を学びました。技術的なことには限界があるが、芸術性にはそれがない無限大であることを学び、本当の師に出会えたことに感謝するしかないと申しておりました。私もそのような師になることを夢見て精進したいと思います。ご主人に感謝、感謝です。  店主

今年も和顔愛語で

寒中に入り、寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしですか。
私事ですが、年末年始の休みを利用して郡山駅から磐越西線に乗換えて猪苗代駅から安達太良山の麓にある中ノ沢温泉に5年ぶりに行って来ました。その地域の人々が利用する湯治場で温泉好きでも知る人は少ないようです。昭和のよき時代にタイムスリップしたような温泉街に人影はなく映画のセットが雪に埋もれているようでした。元旦のお昼は、5年前にいただいた「味噌ラーメン」を求めて雪が吹雪く中を歩いて、小西食堂を見つけて入ると中はお客様で満席でした。おじいちゃん、おばあちゃん、子供さんまでよい顔をされて、誰からともなく「新年あけましておめでとうございます。」と挨拶されました。自分の古里に帰って来たかのように迎えてくれました。今日は元旦なので味噌ラーメンに熱燗一本をすすめられました。ほとんどの方が味噌ラーメンにお銚子一本がついていました。よい顔になるのは当たり前です。今年も元気に新年を迎えられたことに喜びお酒を酌み交わしています。私も皆さんと同じようによい顔になって帰ることにしました。
今年は、「和顔」よい顔で「愛語」より美しい言葉を心がけたいと思います。また、5年後を楽しみに今年も頑張っていきます。よろしくお願いします。 店主
 

無事がすべて 2020年1月

新年あけましておめでとうございます。
年末年始を「無事」に過ごされ、新年を迎えられたことと思います。
今年一年相談余話を通して一つでも心に残る話が出来ればと思っております。
今年もよろしくお願いします。
今日も無事、明日も無事、そして一年が何事もなく過ごせる一年でありますように。
店主より

今年も伊豆へ

11月下旬の休みを利用して、伊豆下田の上原美術館に行って来ました。敷地内には仏教館(旧大正殿)と近代館があり、私にとっては仏教美術を学ぶ場所であり、心のアジールになっております。また来られたことに感謝です。現在は近代館で「伊豆をめぐる名画」展が開催されておりました。横山大観、安田靫彦を中心に明治期に活躍した画家今村紫紅、菱田春草、前田青邨、小林古径、川端龍子などの作品を一同に鑑賞できたことに一年頑張ってきたことへのご褒美のように思いました。美術館の駐車場のそばの民家では、家の軒先に柿を干す仕事に老夫婦が一生懸命でした。いよいよ冬も間近ですね。また来年もこの時期に来て、柿を干す老夫婦を見かけられることを願って一年間頑張っていきたいと思います。※安田靫彦さんの「不二」(ふじ)の絵はがきを買ってきましたので、ご来店の際にはご鑑賞ください。

台風が残したもの

台風が残した爪痕の深さに、改めて考えさせられることがあるようです。誰もが「見えざる手」によって支えられ、生かされていることに気が付くチャンスでもあります。今の社会生活では上下水道に電気、ガスが無ければ、食料も無ければ生きることは難しいようです。私を含めて昔のように時給自足の生活は無理としてもすべてが与えられる生活の中でなるべく自分で出来ることは自分で解決しておきたいものです。頼って生きて不平不満をつくるか、なるべく頼らず生きて手を差し伸べられて、感謝の気持ちで生きるかが問われているようです。息子さんや娘さんから旅への誘いを受けたらそれは宝くじに当たったものと思って感謝したいものですね。

ふところ手帖より 座頭市物語

何げなく、子母澤寛著「ふところ手帖」に書かれている座頭市物語が気になり読み返してみました。原稿用紙にして20枚足らずの短篇ですが、読むたびに新たな発見をさせられます。勝新太郎さんが扮した座頭市ものが映画やテレビで人気を博したのでご存じな方も多いかと思います。盲目の市さんがあるとき店先で手に取ったお茶碗があまりにも素晴らしいので、その茶碗を作った方のところへ出向いて弟子入りをお願いします。市さんの思いにこたえるように師匠は、窯の覗窓に市さんを連れていき、耳を覗窓の方に向けさせ、薪入れの数やその炎の強さを耳を持って覚えさえます。市さんは師匠の行動を逐一音で覚えていってその思いに答えたのです。やはり素晴らしい師匠には、素晴らしい弟子がつくものです。そのことを思うと我が師匠に学んだことが忘れられません。「胃腸が弱い方が相談に来た時、君はお粥か少し硬めのごはんのどちらを進めますか。」「それは消化の良いお粥の方がよいかと思います。」師曰く、「胃の中のことを考えたら、お粥はお粥のまま入ります。しかし硬めのご飯は、よく噛んで唾液で消化が進みます。」「見えないものを見る目を養ってください。」今も忘れることのできない教えです。市さんと同じに本当の師匠に出会えたことに感謝するばかりです。感謝、感謝。

人格形成小説としてのハイジ

6月にEテレで放映されたアルプスの少女ハイジを思い出し、休みを利用して山梨県北杜市明野村にある「ハイジの村」に行ってきました。ここは南アルプスを正面に右は八ヶ岳、左は富士山の見える雄大なパノラマビューを楽しめる場所です。テレビアニメの放映やハイジの村が再現され、季節の花々で埋め尽くされています。いつ来ても心の休まる場所です。人格について書いたところ多くの方からお褒めの言葉をいただき感謝しております。ついでにアニメのハイジも皆さんが知っている通り感動を与えてくれる素晴らしい作品ですが、ぜひ、ヨハンナ・シュピリ著のアルプスの少女ハイジを読んでみてください。そこにはアニメにない「人格形成小説」としての「ハイジ」があります。ハイジの「喪失と再生」が体現されており、アニメにはない深い感動があるように思います。大人の人にも是非読んでいただきたき、アニメの話に加えて子供さんに話していただけるとよいと思います。出来たらハイジの村に来ていただき、この景色の中親子で「太陽の光とアルムの空気」に似た明るく澄んだ希望が生まれることを願っております。矢川澄子訳パウル・ハイ画ハイジ(上)、(下)が福音館書店よりでております。とてもイラストが素敵です。

ある青年の航海日誌より

以前読んだ本に忘れることの出来ない、とてもよいお話がありましたので書かせてもらいます。ある冒険家の青年がヨットで世界一周をすることになり、多くの方の見送りを受け東京湾を出港しました。湾内を航行中は、波は穏やかでしたが、湾を出る頃から天気が急変して、雨、風は強くなり、ほとんど視界はゼロになり、黒潮を超える頃になると、ヨットは波にもまれ、振り落とされないようにヨットにしがみつき、嵐が過ぎるのを待っていたそうです。黒潮を超えてしばらくすると、天気も回復し、波も落ち着き、視界が開けてきたので、後ろを振り向くと、海上保安庁の巡視船がぴったりヨットの後ろについていました。そして巡視船から赤い旗、白い旗を振っているのが見えたそうです。そのメッセージは、「貴船のこれからの航行の無事をお祈りします。」というメッセージでした。青年は涙をこらえることが出来ず、一生懸命に手を振って、感謝を伝えたそうです。まもなく巡視船はヨットを離れ、見えなくなりました。そのとき青年は自分一人で世界一周をしているのではなく、多くの方の力を借りて、この旅が成り立っていることに気がつき、自分のおごりに反省したそうです。多くの見えざる手によって、支えられている自分がいるとするとやはり「おかげさまで、ありがとうございます。」という言葉しかないように思います。

子供の人格について

病を抱え生きることに精一杯の人に「頑張れ」という言葉が通用しないように、小学一年生という「人格」を与えられ、苦しんでいるA君一家のお話をします。A君は学校へ行き始めてしばらくすると腹痛を起こすようになり、保健室へ行くのが日課になっていたそうです。医療機関の検査でも異常は無く、漢方でもと思い当店へ来ました。A君にお会いするとやせ型で胃下垂タイプの子供さんです。A君一家に私の子供時代のお話をしました。「いつも朝起きるのがつらく、近所の子が迎えに来ているのを待ってもらいなんとか一緒に学校に行きました。食事もほとんどとっていないので、先生のお話も上の空です。お腹は痛い、頭も痛い、さらにお腹が緩くトイレに頻繁に行きますので、テストではいつも0点です。今思えば、小学一年生の肩書きをもらっても、中身は成長が未発達な子供だったようです。身体も精神も学校の集団で学ぶだけの力が無かったように思います。どうかA君のお父さんもお母さんもA君に「一年生にもなって」という言葉はしばらくしまっておいて、その子その子の成長を温かく見守ってください。保健室がA君の唯一のアジール(憩いの場)です。やはり保健室の先生は立派です。「胃健錠」で十分よくなると思います。成長を待つのも教育だと思います。

人格について

5月の連休を利用して、普段お会いできない高齢のお客様も息子さんやお孫さんに連れられて久々の再会になりました。遠方のお客様にも青梅まで来ていただきありがとうございます。漢方相談を窓口に長いお付き合いの中で学ぶことが多くあり、お客様一人一人が我が師として指導していただいたように思います。やはり感謝、感謝です。このような立場で指導が出来るのも肩書きがあるため、「人格」という言葉に置き換えると「格」にあたります。学校では「何々先生」、会社では「何々課長」どうしても肩書きによってお客様を理解しがちですが、実は「人」の部分こそ、その人の人間性の本質を見る場所のように思います。「人」と「格」が一致してこそ本当の人格者ですが、肩書きにおぼれて「人」の部分をおろそかにしている人が多いように思います。私もその一人かもしれません。「格」には限界がありますが、「人」には無限の可能性があります。さあ、今日から「我以外皆我が師」と思い精進したいと思います。

店主

昭和物語

4月を持って平成が終わり、新しい年号になります。昭和がますます遠くに感じますが、新世界の旅立ちを迎える方々へ「昭和の夢物語」を少し書かせていただきます。A子さんは生まれながらに身体が弱く、学校へ行くのもままならない状態でなんとか中学校を卒業し、家庭の事情もあり、家の近くの会社に事務補助係として勤めることになりました。最初の仕事は従業員の方々への「朝のお茶入れ」から始まったそうです。従業員のみなさんが出勤する一時間前に出社して全員のお茶を用意したそうです。朝仕事として出しているお茶を一人一人頭に浮かべて好みを探したそうです。それぞれの好みと特徴を理解して一人一人にいい仕事をしてもらいたいと思いを込めて、あの部長さんは少し苦くて熱いお茶、課長さんは濃いけどぬるいお茶、係長さんはお茶より熱いコーヒーが好みで、女性事務員さんは紅茶が好み、そして最後出す社長さんは実はほうじ茶が好きと言うことを全て理解し出すことになったそうです。従業員のみなさんは出社して朝飲むお茶が大変評判となりお茶を用意するA子さんはみなさんから大変感謝されたそうです。もちろん社長も気に入り、A子さんに特別な辞令が出たそうです。今ではその辞令を守って、二代目社長の奥さんとして会社を支えているそうです。みなさんが知っている今では大きな会社になっています。令和の時代になっても相手を思い個性を理解し、思いやりを持ってのぞめば大丈夫だと思います。
どうか新しい世界へ一歩踏み出してください。

店主

我以外皆我師

吉川英治記念館が今年の春をもって閉館しました。疎開のため吉野村(現青梅市柚木町)へ来て、この地で9年5ヶ月を過ごされたそうです。大作「新・平家物語」はこの期間に執筆されました。転居後は「草思堂」として一般公開され、市民の心のよりどころになっていました。ここへ来ると樹齢500~600年と推定される椎の木の下で、「我以外皆我師」という言葉が自然と出てきます。多くの苦労、苦学の末につかんだ思いが作家としての原点のようです。私も励まされた一人です。「宮本武蔵」における佐々木小次郎の剣に対する絶対的な執着と剣を捨て自然の力に任せて自然の声を聞く武蔵の精神性は、私の漢方に対する考えを変えるきっかけにもなりました。自らが限界とあきらめを作る小次郎に対して、武蔵の自然をも味方につけるいわゆる無限大の芸術性に感動して今があるように思います。治す、治らないを超えてお客様の全てを理解し、救い主にならなければいけないように思います。「会話でよくなるならそれで充分ですね。」さあ、今日も頑張っていきましょう。

店主

慈悲ある言葉

今年も松岡山東慶寺に行ってきました。曇天で雨が降りそうでしたが、墓苑に眠る先生方にお会いできるのが楽しみです。中でも漢方の師に出会えたことが、私の人生そのものになっているようです。「私の本の前書きと後書きだけ読んで、中身は読まない方がいいよ。中身については私の背中を見て、君が考えて漢方と向き合ってください。後々君が私の年になった頃、チラッと見れば充分だよ。」とおっしゃっていました。修業時代、先生の書生として家の掃除、部屋の片付け、それに運転手さんに犬の散歩で三年間が過ぎ、漢方とは無縁の生活だったように思います。今思えば、「何も教えない。」ということが師の思いやりであり、師としての立場を貫いたようです。土牛さんの本の中で師(日本画家小林古径)について「君に手取り足取り技術的なことを教えたら君は私を超えることはできないだろう。だから君は私の生き方を見ていれば十分なのだよ。」と述べてありました。土牛さんは、後々先生は私の本当の師であり、とてもいい時間を過ごさせてもらったと温かい心になったそうです。背中で語り、何も教えないことが実は本当の「慈悲ある言葉」のように思います。師の墓は誰よりも簡素です。いつもここに来ると土牛さんと同じように温かい心になります。さあ先生、これから鉢の木で、一杯やりましょう。また、にこにこして何も語らないのですか。まだまだ修行の身ですが、よろしくお願いします。また、来年も来ますよ。

店主

愛語は笑顔から

今年も寒い中を笑顔で来店していただいたSさん、何よりも無事にお会いできて安心しました。いつもホームページの相談余話を楽しみにしてくださいまして、ありがとうございます。感謝、感謝です。病も含め人間の苦しみ、悩みは尽きることはないと思います。私が苦しみ、悩みの最中にいるとき、漢方の師として尊敬する方よりお葉書をいただきました。「君は苦しみと悩みの中で何も見えないだろうが、私には君が最も人間として成長しているのがよくわかるよ」とおっしゃっていました。「今こそチャンスだよ。もっと、もっと今を味わい尽くしてください。」と書いてありました。病も同じで、自身を見つめるチャンスのように思います。「照顧却下」もう一度病と向き合って、病を克服されたとき、どれほど素晴らしい笑顔になっておられることか想像できます。私が尊敬する良寛さんのお言葉にこのような言葉があります。
「君看ずや 双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」

素敵な笑顔をお待ちしております。店主

修行も愛語から

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
年末年始を「無事」に何事もなく、穏やかに過ごされたかと思います。
私事で申し訳ございませんが、年末年始を青森八甲田山の麓を流れる青荷川源流域にある、ランプの宿「青荷温泉」で過ごしております。ここにあるのは全てが雪であり、部屋には小さなストーブとランプの灯りだけです。一冊の本「遺言」養老孟司著を携えて来ましたが、雪に閉ざされ、ランプの灯りだけでは暗くて読めそうもなく、湯につかり、雪景色を眺め、田舎料理をいただき、ただ後は眠るばかりです。年末寒波の影響で、吹雪の中を12時間かけてたどり着きました。本当によく来たものです。感謝、感謝です。多くの方の協力がなければ来ることが出来なかったと思います。東京での生活は人に頼って当たり前。それが見えずに不平不満のストレスで疲れていたのでしょう。この厳しい環境の中に身を置くと、やはり頼るは、この身「二本の足」で最後まで頑張ること。どうしても頼らざるおえない時がきた時は、人は心から「お願いします」そして「ありがとうございます」という本当の修行があるように思います。当たり前のようですが、不平不満のない自立した精神があれば「お願いします」「ありがとうございました」と言う言葉は人生何も出来なくなっても出来る最高の修行のように思います。もう一度今年は原点に返って心から「お願いします」感謝の言葉として「ありがとうございます」という言葉を自立した精神を忘れずに修行の言葉としていければと思います。優しくランプが灯っています。本当の豊かさを味わって帰りたいと思います。養老先生すみませんでした。帰ってからゆっくりと読みたいと思います。また、こんな話ばかりになると思いますが、一年間、お付き合いお願いします。

青荷温泉 ランプの宿より 店主