あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。今年も元旦は東北の秘湯で迎えました。乳頭温泉郷の奥にある蟹場温泉です。吹雪舞う雪の回廊を登り、バスの終点にその宿はありました。湯治宿の面影を今に残し、雪に埋もれながらひっそりと息づいているようです。一年間を振り返り、自分と向き合う場所としては、申し分のない場所のようです。大雪でも露天風呂への道は確保されており、早速長靴をお借りして、出かけてみました。雪に埋もれたブナやタケカンバの森の中に湯けむりをあげている露天風呂唐子の湯がありました。雪がふぶき湯けむりを巻き込んで、竜が天に昇るようです。自然が出迎えてくれたようです。極楽、極楽です。ただ、湯につかり、眠り、そして深山の山懐に抱かれて、しんしんと降る雪景色に一冊の本でもあれば十分ですね。「心に能所の限量無き、是を大身と名づく」という言葉が思い浮かばれました。仕事がら救っていく自分と救われる相手という立場があるように、漢方相談という壁を作ってしまう。一人の人間として融通無碍に交わることができれば、どんな関わりにもそこに壁を作るのは自分であり、その壁を作らず受け入れることができればもっと多くの人が救われるように思います。漢方相談の壁を無くし、人間としての交わりができるようにしていくことでさらに多くの方を救えるのではないでしょうか。「大身は大身に非ず、是を大身と名づく」これを今年のテーマとしたいと思います。大自然の雄大さに触れて感謝、感謝です。さあ今年も始まります。やはり唐子の湯は最高ですね。
店主
寒い冬を迎え、今年も終わりが近づく中、忘れることのできない本があります。髙田郁著「出世花」と「蓮華の契り」です。どのような境遇でも自分の一生をかけられる仕事に誇りを持ってやり遂げていく。そこに人間としての素晴らしさがあるようです。「出世花」の「正縁さんと正念さん」や「蓮の愛」に見られる「貞心尼さんと良寛さん」のように師と弟子としてともに温かく見守る情愛がなんともいえません。そういう環境があれば、人間は必ず独り立ちしていくのではないでしょうか。一人の立派な人間が作られると思います。病を抱えている方にどれほど寄り添え、手を差し伸べられたか反省するばかりですが、今年の締め括りとして、「無事」という言葉を皆様に受け取ってもらえれば何よりです。「無事」新年を迎えることをお祈りしております。一年間ありがとうございました。
店主
新緑の美しい季節になりました。今日も病という重い荷を背負って当店に来店してくださいます。駅よりまっすぐな一本道ですが、350mあります。その歩みはゆっくりですが、私も店の外に出て、その歩みを見守ります。毎日のことですが、相談のヒントになることがあります。年齢を重ねることも病いと言うことであれば、そこに病名をいただく病いが重なればやりきれないのが本当ではないでしょうか。それでも精一杯の笑顔で来店してくださいます。何も語らなくても、その笑顔がすべてを教えてくれているようです。
「君看ずや双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」 良寛
多くの病いを乗り越えてきた人の顔は、何も語らなくても誰よりもすてきですね。 と言っているようです。お顔には「体の全神経」が表現されているそうです。まだまだ理解し得ないところがあります。宮本武蔵にはなれませんが、千の稽古、万の稽古を重ねる鍛練をしていくしかないと思います。不眠からストレス、そして風邪、風邪は万病の元です。夏の風邪は冬の風邪のように症状がはっきりしませんので注意が必要です。またこの風邪によって熱中症は重症化するものと思います。さらに注意が必要かと思います。さあ~、今日も真剣勝負です。
里山の山肌の影にひっそりと黄色の花びらが、幾重も見られるようになりました。今年も山吹の季節が来たようです。粗末な環境の中にも凜とした気品と優しさ、そしてひっそりとした佇まいに花の精を感じるようです。あの方は今どうしておられるか、元気な日々を過ごしていることを願いながら…、そして今もってSOSを発信して病に苦しんでいらっしゃる方々を思わざるを得ません。
七重八重花は咲けども山吹の
実のひとつだになきぞ悲しき
誰の歌なのかは知りませんが、きっとその人は生きる喜びを知らせに来た花の精のように思います。さあ今日も相談を通して「安心」というお土産を持って帰っていただければ幸いです。
人生も年を重ねることで、やはり若いときのようにはいかないものですね。物忘れは毎日のことであり、体調も日々違うことがわかるようです。このようにして老化というものが、毎日少しずつ進むとしたら、それはいつか思うようにはいかないつらい日が来るのは当然のように思います。老いも病気と考えればどうでしょうか。元気なうちに思うようにはいかない時を想像して、一歩一歩何をなすべきか(いわゆる養生、運動など)考えることが大切です。そうすれば遅らせることができるように思います。漢方相談をしていると、病名をいただく本当の病気と老いという病気を重ね、つらい日々を過ごしているのが実情です。老いの中で病気を抱えるのが当たり前のように思っているようですが、老いという病気を意識することで、本当の病気に対してしっかり向き合えるのではないでしょうか。これを漢方では、未病対策として行っております。そしてもう一つ人生最後まで修行のようですが、他者の手を煩わせることがあるならば、どなたにも「ありがとうございました。」といえる自分でありたいと思います。人生床に臥せっても、修行はできるようです。お店が良寛さんの五合庵であれば、もっとよいのですが…。