5月の連休を利用して、普段お会いできない高齢のお客様も息子さんやお孫さんに連れられて久々の再会になりました。遠方のお客様にも青梅まで来ていただきありがとうございます。漢方相談を窓口に長いお付き合いの中で学ぶことが多くあり、お客様一人一人が我が師として指導していただいたように思います。やはり感謝、感謝です。このような立場で指導が出来るのも肩書きがあるため、「人格」という言葉に置き換えると「格」にあたります。学校では「何々先生」、会社では「何々課長」どうしても肩書きによってお客様を理解しがちですが、実は「人」の部分こそ、その人の人間性の本質を見る場所のように思います。「人」と「格」が一致してこそ本当の人格者ですが、肩書きにおぼれて「人」の部分をおろそかにしている人が多いように思います。私もその一人かもしれません。「格」には限界がありますが、「人」には無限の可能性があります。さあ、今日から「我以外皆我が師」と思い精進したいと思います。
店主
4月を持って平成が終わり、新しい年号になります。昭和がますます遠くに感じますが、新世界の旅立ちを迎える方々へ「昭和の夢物語」を少し書かせていただきます。A子さんは生まれながらに身体が弱く、学校へ行くのもままならない状態でなんとか中学校を卒業し、家庭の事情もあり、家の近くの会社に事務補助係として勤めることになりました。最初の仕事は従業員の方々への「朝のお茶入れ」から始まったそうです。従業員のみなさんが出勤する一時間前に出社して全員のお茶を用意したそうです。朝仕事として出しているお茶を一人一人頭に浮かべて好みを探したそうです。それぞれの好みと特徴を理解して一人一人にいい仕事をしてもらいたいと思いを込めて、あの部長さんは少し苦くて熱いお茶、課長さんは濃いけどぬるいお茶、係長さんはお茶より熱いコーヒーが好みで、女性事務員さんは紅茶が好み、そして最後出す社長さんは実はほうじ茶が好きと言うことを全て理解し出すことになったそうです。従業員のみなさんは出社して朝飲むお茶が大変評判となりお茶を用意するA子さんはみなさんから大変感謝されたそうです。もちろん社長も気に入り、A子さんに特別な辞令が出たそうです。今ではその辞令を守って、二代目社長の奥さんとして会社を支えているそうです。みなさんが知っている今では大きな会社になっています。令和の時代になっても相手を思い個性を理解し、思いやりを持ってのぞめば大丈夫だと思います。
どうか新しい世界へ一歩踏み出してください。
店主
吉川英治記念館が今年の春をもって閉館しました。疎開のため吉野村(現青梅市柚木町)へ来て、この地で9年5ヶ月を過ごされたそうです。大作「新・平家物語」はこの期間に執筆されました。転居後は「草思堂」として一般公開され、市民の心のよりどころになっていました。ここへ来ると樹齢500~600年と推定される椎の木の下で、「我以外皆我師」という言葉が自然と出てきます。多くの苦労、苦学の末につかんだ思いが作家としての原点のようです。私も励まされた一人です。「宮本武蔵」における佐々木小次郎の剣に対する絶対的な執着と剣を捨て自然の力に任せて自然の声を聞く武蔵の精神性は、私の漢方に対する考えを変えるきっかけにもなりました。自らが限界とあきらめを作る小次郎に対して、武蔵の自然をも味方につけるいわゆる無限大の芸術性に感動して今があるように思います。治す、治らないを超えてお客様の全てを理解し、救い主にならなければいけないように思います。「会話でよくなるならそれで充分ですね。」さあ、今日も頑張っていきましょう。
店主